昨日「サヨナライツカ」を見たのだが、
このストーリの内容で一番肝心な言葉が「愛している」だった。
女性たちはこの「愛している」という言葉を好きな男性から聞きたがった。
男は何故だかこの言葉をなかなか言わなかった。
たぶん、この言葉はこの男性にすれば重たかったのだ。
なんとなく、この言葉を言ったら最後「責任」が生まれるのを危惧してたようだ。
また、当時のその気持ちが本当に愛しているというものなのか自信もなかったようだった。
私は中学の時、この「愛している」という言葉をもの凄く多様化して使っていた(笑)
はっきりいって、好き=愛している だったのだ
もちろん、この言葉で責任うんぬんとか考えたこともなかったし、
思ったことを口にする性格であったため、好きな友達ができると
「愛してるで」と普通なこととしていっていた(笑)
今思えばこっぱずかしいことをやらかしているのだが
その当時の私は全然気付かず普通なこととして使っていた。
そんな中学3年のある日
突然私は同じクラスのある子から半泣きで「軽薄!」と言われたことがあった
私の頭は????私は、当時かしこ過ぎて「軽薄」という言葉すら知らなかった。
で、家に帰って辞書で引きました。意味は文字通り「軽くて薄い」こと。
次の日にその子に説明してもらうと
「愛している」という言葉を複数人に使うと「軽薄」になるとのこと
そうなのか、ごめんねと素直に謝り、反省したのでした。
高校に上がっても、社会人になっても
それから私は「愛している」という言葉をあまり使わなくなった。
ま、お付き合いした人にはこれ見よがしにいいますが(笑)
愛してるって何?と深く考え出すと不安になって
これって本当に愛なの?と自信がなくなりだすし
広く考えると愛ってものすごく日常に溢れているものだし
定義がイマイチ曖昧なものだよね。だから分かりにくいのだな。
でも25年間忘れずになるべく「軽薄」にならないように生きてる私としては
「愛している」という言葉より本気で「軽薄!」と言われたことの方が重い言葉でした。
言った子はきっともう忘れているだろうけど、私は忘れていない。
今考えると私はその子のことを本当に好きだったのだろうね。
忘れっぽい私がずっとそれを覚えてるのがその証拠。不覚にも今気付いたや(笑)
でも映画の中でも回想は老人がするものだと言っていたので
まだまだ老人にはなりたくないので昔の回想はコレにて終了
でも好きな人には確証などなくても愛してるというべきだと思います。
相手が望んでいるのであれば。
私は死ぬ前に
愛したことを思い出すか
愛されたことを思い出すか
の問いに対しては
私はどちらでもないような気がする
たぶん死というのは突然やってきて感傷的になる暇すらない気がする
だから今を楽しめば何かを思い出して死ぬことはなく
今を感じながら楽しい気分のまま死ねるのではないのだろうか?
そう思うので、今後もそういう人生を生きたいと思う
最近文が長いなあ
暇なのだなああ(笑)
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